私は「夢」という言葉の持つあいまいさが嫌いだ。
28aec0b746094309572ce7fb6b618fb4_m
「夢があっていいね」と言われると、「無理かもしれないけど頑張ってね」と言われているようでイラついていた若かりし日・・・。

【夢】(goo辞書)
 
1:  睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い―を見る」「正(まさ)―」
2 : 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが―だ」「少年のころの―がかなう」
3 : 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も―ではない」「―多い少女」
4 : 心の迷い。「彼は母の死で―からさめた」
5 : はかないこと。たよりにならないこと。「―の世の中」「人生は―だ」


これで突っ込みたいのが「2」と「3」。要約すると、

2:実現させたい
3:現実では無理な事


かなり長く考えこんだ結果、結論としてはこの二つの意味を同じ単語に持たせることはダメです。

大人も子供もこの二つの意味を明確に線引きできないからです。
実現させたいのに現実では無理な事では。もう最初から否定じゃないか。

屁理屈はここまでにします。

さんざん「夢を持て」と教育されてきた子供は、「僕の夢は○○になることです」と言わされながら育つ。

いつしか、その夢を叶えるには恐ろしい程の努力が必要だって事に気づき始める。でも、「夢」という言葉には3:「現実では無理な事」という意味合いも含まれているから、いつか叶うかも、夢なんだから大きくていいじゃん。という発想になってくる。

だんだんと、「2:現実させたい」と「3:現実では無理な事」の境目があいまいになってきて、3の比重がでかくなってくる。そうすると、「実現出来なくても仕方がない事象」になってくる。実現させるためにやるべきことをやらなくなるのだ。

言葉は悪いけど、「夢の形骸化」なんですよ。

皆さんもそうじゃなかったですか?

小学校低学年では「パイロットになる」とか、「東大に入る」と親に言わされてきた。本気で思っていたのにいつしか成長して自分の実力だったり努力の辛さとか裏の部分が分かってくると、「公務員になる」「4年制大学に入る」、と現実的になってくるじゃないですか。(ちなみにこの「努力」って言葉も嫌い)

これが、実現するためにあらゆる事を頑張った上で、こちらの方が向いているという判断の元なら良いと思うんですが、そうではない場合が圧倒的に多いのが現実。

この叶うのか叶わんのか、あいまいな意味の「夢」を子供に押し付けるような感覚が嫌いなのだ。


本田の「夢」への姿勢は異常レベルと思ったほうがいい
筆者はフットボール観戦が好きですが、本田圭祐選手の「夢ノート」ってありますよね。あれも商品名がよくないと思う。(中身は見たことないですが、中身は多分良いものだと思いますが!)

本田選手の「夢」に対する捉え方と努力の仕方、実現化行動の積み重ね方は、一般人と比較して常軌を逸しているレベルなんですよ。
 
一般人ではそうそうマネできない。本田選手は、「夢」に対して「2:現実させたい」以外の捉え方は微塵もしていない。

ここに「夢見る子どたち」とのミスマッチがすでにある。そのミスマッチの状態で「プロになってバルセロナでプレーする」って書いてもなあ…。

バルセロナってことは、たとえばサッカー少年団やユースにいる選手であれば、キックオフ直後から相手選手に一切体をふれさせずに一人でドリブルして相手ゴールに持ち込める一人無双レベルは当然ですよね。 
そこにたどり着くまでにやらなければならない事はかなり多いし、先天的なものも必要でしょうから、どこかに「無理かも」って気持ちがあると絶対実現不可能。



夢って言葉を使うと、「無理でもでかく」的な概念が少なからずあるから、本当に主旨を理解して使わないとそこで形骸化するんでないか。

この「無理でもいいから」という含みを持たせて子供に将来をコミットさせるような習慣は、かえって子供が甘えたり創造できなくなるのではないかと感じるのです。

そもそもそれを押し付ける大人が夢をかなえていない場合が多いのでは?

いつか、子供が自発的に何かに興味を持ち、なりたい将来を語った時、それは素晴らしいこと。

その時は、どこか「無理かもしれないけど」という含みを持った「夢」という言葉を使わせず、妥協したり逃げ道を作ったりさせず、じゃあどんな努力をして実現させていくすべきか、最初に実現すべき小項目は?って事を真剣に考えさせなきゃと思いますね。

そんな「夢」の持たせ方に世の中がなっていけばいいと思う。


でも、やっぱ嫌いだわ「夢」って言葉。。。